ZERO BAKERY

年代

沿革

1978

和田勝也がパンが食べたいという思いでゼロ・ベーカリーをOPEN 初号店の所在地は新潟であった。

1980

事業が軌道に乗ってきた和田はパンに車をつけて売る計画を計画したが、ある程度の成功はしたものの現在中止されているのは赤字のためである。

1984

前述の事業で借金苦に陥っていた和田は一発逆転の為にクルマにパン付けることを画策した。それにより和田は見事なまでに富を蓄え、その時の言葉で我々の今に至るまでの教訓が生まれた『あなたとは違うんです』

1985

思わぬ形で自動車業界と繋がりを持った和田は自動車工場買収をした。そこはゼロ・ガレージの聖地とされ、従業員からは「秘密の花園」と呼ばれている。

1989

順調に経営規模を拡大していったゼログループは好景気にも後押しされ、モンゴルへの初の海外進出が果たされた。尚、ウランバートル店が閉店したのは後に大赤字という騒動があったからである。

1990

ともあれ海外への足掛かりを掴んだゼログループは早々に北米上陸を果たした。初期のNY店のキャッチフレーズは『恋のぶりっ子マシンガン 』だった。アメリカ人にはとても斬新な味だったらしく、人は口々に「SEXY!」と言った。

1992

口コミで評判となっていたゼロベーカリーはロイター通信にも取り上げられ、本格的に攻勢をかけようとしていた矢先、日本でバブル崩壊がおきる。そこで和田氏は英断を下し、組織本部をNYに移転させる。初めに入居したビルはNY市警察署だった。

1994

狭いという理由から日本店舗を新潟から小笠原に移転させた。また、この時期から広告にも力を入れだし、日本地区は埼玉県警、北米地区はキプロ氏を抜擢した。

1998

今の傘下であるゼロ・トリップはこの年和田の「消費税5%反対!」という一言で立ち上げられ、結果的にそれが最期の和田の業績となった 享年50歳であった。

1999

そこで和田とは愛人という関係にあった現会長のバクシーシ山下がトップの座に就き、『和田の経営や哲学理念は失敗だった、それを修正していこう』というスローガンを元に大幅人員増を図った。こうしてウランバートル店は閉鎖され、代わりに上海・ベトナム店が誕生した。

2000

うまくいっていたと思われたゼログループだったが、そこに和田と猟犬部隊の関係にあったIKKOMANが現れ代表の座を要求しお家騒動が起こり、それをマスコミに勘付かれたゼログループは人々の間で『penis』と陰で呼ばれるようになる。

2001

この年からウーパールーパーが見れるという理由で営業を深夜のみにしたが、これが功を奏して売り上げが大幅に伸びる。推測できる理由としてペンギンのぬいぐるみを購入したということがある。

2002〜2012

謎に包まれた空白の11年

2013